コラム 鳥の歌 弘中泰雅 テクノバ株式会社 弘中泰雅 |
191007 | 食品衛生 最近のHACCPやISO22000、FSSC22000への国、地方自治体、食品業界の取組みはすごいものがある。確かに食品は人の健康に直接影響を与えるので極めて大切なものであることは誰も否定できないであろう。これらの活動に関わる身として感じるのは問題点の多くが企業体のオペレーションの問題だけではなく、工場の構造等の設備の不備にある例がかなり多い事である。いわゆるOPRPに関する事項が指摘されている例が多いのである。食品工場には建設後20〜30年以上経過した建物が非常に多い。 食品工場の多くは生産性が低く低収益性である上に、昨今の労働力不足による賃金の上昇、最低賃金上昇、働き方改革、消費税上昇などが重畳的に追加されますます低収益になり、工場や設備の更新が出来ない企業が増えている。これにISOなどで建物や設備の改修の必要が有るとますます経営を圧迫してくる。食品衛生は重要であることには異論はないが、生産性向上の取り組みなど食品企業の収益性を向上しないと工場の改修も出来ず本来の目的も達成でいないのではないだろうか。最近の食品衛生の施策は「角を矯めて牛を殺す」感も無きも有らずと感ずる。利益があればこそ企業は存続できる昨今の多くの企業の倒産や廃業は悲しい。日本の経済は中小企業の存在があって成り立っている事を忘れてはならない。 |
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190630 | 白線 余りにも長い間ご無沙汰していたが、最近思っている事があるので散発になると思うが久しぶりに書いてみることにした。最近どこに言っても感じるのは道路の白線が薄くなっていることである。特にひどいのは都市の中央部ではなく郊外の道路の白線である。停止線や中央線など殆ど見えなくなっているところもある。横断歩道も消えかかっている。おそらく地方財政の不足による現象だとは思うが。最近は自動運転アシスト車の開発が進んでいるが、その運転アシスト車は道路の中央線や道路端の白線を検知して車線の判断をしているようにも聞く、また信号停止で横断報道手前で止まる時には停止線の検知も重要なのではないだろうか。 自動運転車がもしもこれらの白線を認識できずに事故が発生したら誰の責任になるのであろうか。自動車の検知能力が向上しても白線がないために、自動車が正常な動きが出来なければ冗談にもならない。自動運転に白線の有無や濃淡は関係ないのであろうか。 |
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110221 |
除雪車 先ほどの大雪のニュースを見て、ニューヨークの冬を思い出した。当日は前日からの大雪の予想で、前日出張先からもし大雪警報がでたら、明日は、会社は休みだと聞かされていた。夜が明けるとその通りの大雪で、朝目が覚めると早速休業の電話が入ってきた。何やら外があわただしので、窓から外を見たら、道路の除雪をしているようだった。私の泊まっていたホテルはニューヨーク郊外の、裕福な地域だったので、さすがに素早いなと思ってよく見ると、なんと除雪車は専用の除雪車ではなくて、それは清掃車だった。日本の清掃車とほぼ同じ形をした清掃車だ。何分、国がでかいので、その清掃車は日本のそれより、1回り、2回り大きかったが、まぎれもなく清掃車だった。前にスノウプラウを付けた清掃車が除雪をしているのである。 |
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100804 |
レコード 奈良に住んでいると,時々木簡が発見されて,新しい史実がわかったと言う報道を耳にする。木簡を書いている時には,千年も後の事を考えて書いている訳でもあるまいが,歴史の記録として有効に活用されているのは事実である。記録と言えば英語でレコードであるが,かつてのレコードは今はCDに姿を変えている。CDはコンパクトディスクの略である。かつてのLPレコードより,コンパクトになった盤になったと言うことであろうが,記録には変わりない。 |
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100719 |
ブラボー 前から耳障りなのが,演奏会での演奏の終了と同時のブラボーの大声,中には演奏が終わる前のフライング気味のものまである。本人は演奏者の好演奏に対する賞賛の意味での発声だと思うが,中にはクラシック通をアピールするためのものではないかと思われるものもある。 |
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100403 |
SIMカード 最近新聞紙面で携帯電話のSIMカードの事が話題になっている。携帯電話には電話番号などを記録したSIMカードが入っている。このカードを入れ替えることで電話会社を乗り換える事ができるが,日本ではそれを制限するSIMロックが認められてきた。このSIMロック制限解除を早ければ年内にも実施するとのことである。 |
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100305 |
アバター 最近話題のアバターを見た,話題の3DCG映画である。私が最初に3D映画を見たのは,20年以上も前になる。LAのディズニーランドで見た。月日の経つのは全く早いものだ。映画館に入る前に,子供のころに見た立体漫画を見たのと同じような,赤と青のレンズの入った眼鏡が配られた。映画のタイトルは忘れたが,3D映画を作るための典型的な題材である,宇宙物であった。勿論まだ今のようなCGではなかったように思う。まだまだ幼稚な画面で,宇宙船が星と星の間を通過するような立体場面が登場した。隕石か何かが飛んできて立体感をとにかく強調していたように感じた。 |
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090613 |
パラダイム・シフト パラダイム・シフトについて,ずっと関心をもっている。「パラダイム」とはルールとか規範とかの意味を持つギリシャ語が語源とのこと。なぜ関心を持っているかというと,パラダイム・シフトが企業の盛衰に大きな影響を持っているのではないかと考えるようになったからである。 |
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郵便ポスト 出張などの折,郵便物を近所のポストに出し忘れてしまうと,郵便の投函にはほとほと困ってしまう。駅には殆どポストがない。駅員にたずねても殆どの場合,ポストはない。先日もポストに郵便を投函し忘れて,途中の大きな駅で投函しようと駅員に尋ねても,やはりポストは駅の中にはない。 |
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090202 |
ハドソン川UA不時着 1月15日のUSエアーのハドソン川への不時着には驚いた。飛行機に乗ると前の座席の背もたれのポケットに緊急時のパンフレットが入っているが,その中に飛行機が不時着水したときのイラストがある。パンフレットを見るたびにこんなことありえるかと思っていたが,今回はそのイラストのままの光景で,なりより大きな惨事にならずにすんでよかった。パイロットの冷静な判断と技術に感動したが,エンジンの止まったジェット機があのように滑空できるとは思いもしなかった。飛び立ったばかりで燃料はほとんど残っていただろうから,飛行機は重かったはずだ。その点でも降下速度は早かったであろう。飛行機に短時間で浸水してきたが,長距離を飛んで燃料を消費した飛行機ならもっと長時間浮いていることは可能であろう。ラガーディアから飛び立った飛行機が,ハドソン川に着水するためには,航空路上には巨大なワシントンブリッジの橋塔とそれをつなぐロープがあり,それをよけながらのエンジン停止の飛行機での飛行は相当に難しかったはずだ。 管制塔からは近くのテータボローの空港に行くよう指示がでていたようだが,何度かこの空港のそばを通った経験から言えば,いわば八尾空港にジェット機で着陸するようなもので,それこそ周囲を巻き込んだ大惨事になった可能性がある。この季節ハドソン川は結氷することもあるが,今回はそのようなこともなく良かった。 着水した飛行機に沢山のフェリーボートが集まって来て搭乗客を救助したのも,ニュージャーや周囲の島からの通勤用や自由の女神像などの観光用の船が,沢山いるニューヨークならではの幸運だった。たとえば関空の近くでこのようなことがもし起きたら船での救助にはもっと時間が掛かるのではないか。日本には臨海空港が沢山あるが,今回の事故を教訓にして非常時の救助体制を整備する必要がある。その様な検討は始められているのだろうか。 |
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090107 |
企業合併 年の初めの話題には寂しいが,昨年の秋に投資銀行のリーマン・ブラザースが破綻した。それ以降100年に一度という経済不況が世界を襲っている。いつのころか資本主義の行く末に不安を感じていた。というか資本主義が資本主義でなくなっていることに問題を感じていた。そもそも資本は元であり,元金である。事業の成立・保持に要する基金であるはずである。だとすれば本来例えば会社創設時の資本こそが真の資本とも考えられる。ところが現在ではお金そのものが商品化されている。実際安定株主の株(お金)は資本になるが,投機的な株は資本とは言葉の定義からも外れてしまうのではないだろうか。昨今の経済はむしろ投機主義ではなかったのか。 大企業は日本の土地バブルの崩壊で,to fail too big (大きすぎて,潰せない)の味をしめた。潰したら経済への影響が大きすぎると言うことで政府が支援にはいる,これを見越して皆合併に走っている。リーマンショック以降にも金融機関の合併が発表された。実際メーカーには独占禁止法があるが,金融,流通などはどうなのであろうか。流通も本当に大きくなっている。もちろんスケールメリットはあろうが,限度を超えた巨大化にスケールメリットはあるのだろうか。たいていの場合,巨大な海外企業との競争に負けないためという理由で合併が行われている。世界最大の自動車会社GMが破綻の危機に立っている。大きければ潰れない保証はない,行き過ぎた合併は考え直すべきではないだろうか。 |
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081208 |
Army Corps of Engineers 穀物関係の研究会で米国の穀物事情の講演を聴いていると,’Army Corps of Engineers’突然なじみのない言葉が耳に入ってきた。米国はご存知のとおり大きな国で,穀物の産地も全土に広がっているし,穀物の産地は消費地である大都会から離れている。また穀物産地の大部分は内陸部に分布しているため,輸出のためには穀物を港湾まで運ばねばならない。この輸送のために,鉄道輸送と同時にミシシッピー川とその支流,コロンビア川,スネーク川などの河川による船舶輸送が主流になっている。日本では大規模な河川の船舶通行は少ないので,あまり実感がないが,高度差のある地形を流れる河川を航行するにはLock(閘門]とDam(堰)が必要なる。 |
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081106 |
迷惑メール 先日たった一日で携帯電話に、500通を超える迷惑メールが届いた。昼夜分かたず、にぎやかに着信メロディがなった。計算上は2,3分に1回届く計算だが、実感としては常に携帯電話から着信メロディが聞こえてくる感じで、5分間も静寂が続くと、どうしたのかなと思うほどであった。 |
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080330 |
キッチンカー アメリカでは第二次世界大戦中、戦地や同盟国に食糧を供給するために、小麦粉の生産量がそれまでの1.5倍に達した。戦争が終結するとこの小麦が余剰になった。朝鮮戦争が終結すると、その在庫が膨大となり、倉庫料等がかさみ、農民団体からの突き上げもあり政治問題化した。そんな中、アメリカでは1954年(昭和29年)に「余剰農産物処理法(PL480)」が議会を通過した。 |
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080229 |
全要素生産性 耳慣れない言葉ですが「全要素生産性」という経済指標があります。労働生産性や資本生産性のように、個別的な生産要素の生産性ではないので、直感的に分かりにくいのですが。全要素生産性とは、生産要素の総体と付加価値等の関係を示すもののようです。全要素生産性は生産性を直接測定することは難しく、生産における労働と資本の貢献分の残り(ソロー残差)に相当するようです。その残差のうち短期的には固定設備の操業率や労働者の技術水準上昇、長期的には技術体系(技術水準や技術活用法)の進歩や企業組織改革、産業変化の効果が含まれます。この残差のうち、技術進歩が主要な構成要素とみなされるために、全要素生産性=広義の技術的進歩と解釈されます。この指標は絶対的水準(一人当たりの付加価値額)ではなく、上昇率(変化率)で表されます。 |
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080212 |
富士山 私は新幹線で東京に行くときはできるだけ北側の席に座るようにしている。その理由は富士山が見えるからです。富士山は上りの列車の方が見やすく、朝きれいな富士山が見えると何か良いことがありそうな気がします。それくらいきれいな富士山は案外見ることはできないものです。雨が降ればぜんぜん見えませんし、霧や霞でも見えません。天気は良くても富士山だけに雲が掛かったりしているときもあります。 |
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080114 |
のだめカンタービレ のだめカンタータなんとも奇妙な響きですが、実はコミックの題名です。「のだめ」とはヒロインの女子音大生の愛称で、カンタービレとは音楽の演奏記号のひとつで歌うようにという意味です。ちなみにチャイコフスキー弦楽4重奏のアンダンテ カンタービレが有名です。最近このコミックがテレビ化されて、家人が見ているのでたまたまそばで見たのです。もちろんコミックが基ですから、演出や演技はオーバーでまさにコミックの世界です。ストーリーは良くありがちな恋愛物です、しかしながらその音楽的な内容はかなり高度です。長年の音楽ファンの私にも、音楽的にかなり魅力的なものだし、ストーリーにしたがって古今の名曲がバックでながれるので退屈しません。音楽や音楽の世界を良く知った人が書いたものだと想像されます。 |
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080107 |
リエンジニアリング 初詣の帰り、近所の食品スーパーに立ち寄ったついでに、食糧自給率39%の実態を見てみようと思い、棚の生鮮食品の原産地表示を眺めて回った。なんと有るわ、有るわ、チリ、メキシコ、オーストラリア、フィリピン、インドネシア、タイ、ロシア、ノルウエー、グリーンランド、モーリタニア、南アフリカ、イスラエル・・・・、ちょっと眺めただけで殆ど地球全体から食材が輸入されてきていることがわかる。このほか加工食品の原料として食品に入っているものも調べれば、これの何倍にもなるのであろう。 |
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071204 |
インタンジブル・アセット(無形資産、組織資産 最近の研究では企業にとって、組織の中にある目に見えない資産が大切であることが言われている。アダム・スミス以来の分業化の仕組みが組織を生み、ついにはその組織が仕事のフローとの解離を起こし、これを防ぐために1990年ころからリエンジニアリングという、ITをつかったビジネスの効率化が提唱されている。ところがITの導入に成功した企業とそうでなかった企業がある、両者の差は企業の持つインタンジブル・アセットによると見られている。 |
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070617 |
これだけは知っておきたいIT経営 今回の表題は書名である。この本は経済産業省が推し進めるIT経営応援隊のIT経営教科書作成委員会が書いたものです。この本はインターネット(http://www.itouentai.jp/kyoukasyo/index.html)より無料でダウンロードできます。企業の経営者、管理職のかたがたに是非読んでいただきたい。これからのITの取り組みについて分りやすく書いてある。例えばITに取り組まなければならない必要について、「今なぜ「IT経営」でしょうか」とか、なかなかITに踏みきれない社長のために、「社長のIT経営“やれないモード”の自己診断」などもある。いずれはと思いながらも、IT化に踏み出す決心が付かない社長のためには、チャートつきでその、理由を自己分析できます。IT経営に踏み切れない社長のために、「IT経営「やれない壁」の発生原因と”気付き“という節もあります。 |
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070421 |
気付きませんか食料品製造業 先般のニュースでは日本の生産性は米国の70%と言うことでした。その原因はサービス業の生産性が低いからだと説明されていました。それでは製造業は高いのでしょうか。工業統計によると、製造業は大分類で23の産業分類に分けられています。産業分類別に一人当たりの製造品出荷額等を比較すると、全産業の平均が3490万円で、1位の石油製品・石炭製品製造業の5億5670万円から、最下位の衣服・その他の繊維製品製造業の810万円までの開いています。一人当たりの付加価値額で見ると全産業の平均が1240万円で、最高は石油・石炭製品製造業の3360万円、続いて化学工業の3250万円となり、そして最下位は、やはり衣類等の製造業390万円です。これらの数字は直接生産性の数値ではありませんが、かなり関連の高い指数です。 |
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070323 |
既得権益 いつもの年なら大阪場所が春を呼ぶが、今年は春が大阪場所をつれて来た。その後いっぺん冬に逆戻り異常な春である。八百長疑念が頭をよぎるのか、櫓太鼓の音も空々しい。揺らめく部屋名を記した幟の元には、当日券ありのポスター、連日の満員御礼とは行かないようである。相撲だけでなく野球にも金の絡んだ不祥事のニュースが流れている。 |
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061225 |
記録の残らない時代 年も押し迫ってきたが、行く年の変化と記録媒体について考えて見たい。コンピューターで使う媒体を自分で使った分に限ってちょっと振りかえってみても。カセットテープ、8インチフロッピー、5インチフロッピー、3.5インチフロッピー(密度はどんどん増加)、Zip、スマートメモリー、USBスティックメモリー、SDメモリー、CD-R、DVD-R、HDなどほんのここ20年余りの間に変わっていった。記録を残す本体もメカニカルのタイプライター、電子タイプライター、ワープロ続いてパソコンになり、OSはS-BASIC、MS-DOS、Windows-3.1、Windows95、Windows98,Windows-Me、Windows2000、Windows-Xpと変わっていった。 |
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061125 |
エキナカ エキナカすなわち駅の中が新たなビジネスチャンスと注目されている。そのため、駅のコンコースにコンビニ、理髪店、サラ金の店、ベーカリー、輸入食材店など等、何でもあり便利になった。その中で新たに出現したのは、車輪つきの屋台のような店舗である。例えば東京駅の中央コンコースはお土産屋などが、数多く出店して、今まで以上に混雑してきたように感じる。店があるということは物流も伴うので、開店の準備時や商品の補充を全ての店がいっせいに行うと、商品などがコンコースに溢れ、歩きづらく危険すら感じる。このような店は車輪付だから、おそらく仮設の構造物という取り扱いで、建築基準法や消防法あるいは安全に関する法規にも触れないのだろう。車輪付の店舗の中には、2トントラックの荷台くらいの大きさのものまである。 |
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061028 |
責任感 最近ドイツのソフトウエア会社のメンバーと1週間あまり行動を共にする機会があった。ibaという国際的な製パン関連のショウに、彼らが出展するので日本におけるシステムパートナーという立場で、彼らのブースに期間中常駐した。以前アメリカの電機関連販売会社の人たちとも、長期間行動を共にすることを何度も経験していたので、特に違和感はなかった。しかし今回ドイツでの体験は、社員一人ひとりの責任というものを強く感じさせた。彼らも同一行動しているので、日本人の私としてはどうしても、情報の共有はある程度はしているだろうと思ってしまう。同じ部門の者ならば当然知っているだろうと思って、質問するとたいていそれは誰々の担当だから、自分はわからないと言う答えが返ってくる。無論たまたま担当者に質問ができれば、その時点で可能な答えは返ってくる。日本では同じ部門に所属するものには、情報の共有が強要される。同じ情報を持つことが、いわば責務として求められる日本とは大きく異なる。 |
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WEBメール 通常のPOP3メールはほとんどがプロバイダーに登録し有料であるが、WEBメールはブラウザーメールとも呼ばれるメールで、電子メールソフトを使わずに、ブラウザー上でWebサーバーに届いたメールをやり取りするものであり。無料で複数のメールアカウントを簡単に取得できるため、状況に応じて使い分けることもができる。しかしこれが曲者で、迷惑メールの何割かがWEBメールを経由して発信されている。 |
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060516 |
レコード この間、学生時代に住んでいた都市に行った。友人との待ち合わせまでに時間があったので、昔よく行っていたレコード店を覗いてみると、その繁華街のアーケード街の中心にあった店は、なんとコンビニに変わっていた。記憶によればその店は立派なビルで1階がレコード売り場、2階は鍵盤楽器と楽譜、3階は弦楽器、管楽器、4階はスタジオだった。そこそこ大きな音楽の専門店だった。何とかお金をひねり出して、その頃その店でよくレコードを買った。当時LPレコードは新譜や有名レーベルは2000から2300円、いわゆる廉価版は1000から1300円であった。当時の生活費は20000円くらいだったので、もっぱら廉価版の中から好みの曲や演奏者のレコードを漁った。その懐かしい店はなくなっていた。 |
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060225 |
地方の振興 先日1週間あまりドイツを訪問した。仕事の関係で彼地の知人の運転でアウトバーンなどを1000Kmくらいは走っただろう。訪問先はIT関連企業であるが、偶然かもしれないが、いずれもいわゆる田舎で、人口は1万人前後であろう、日本で言えば町とか村とかいう規模に立地していた。ドイツは日本の東京にあたるような大都会はなく首都のベルリンと言へども、東京の3割程度の人口である。したがって中規模程度の都市が多く、全国に分散している。日本のような中央集権経済ではないので、いわゆる片田舎でもこのような企業が存在しえるのであろう。無論日本でも地方にIT企業がたくさん出来ているが、たいていは大都市の仕事の下請け的なものが多いようだ。 |
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060123 |
萌え文化 どうやら日本の携帯電話事業が苦境に立っているらしい。携帯電話を作っているメーカー、海外展開を図っている携帯電話会社のいずれも、諸外国のシステムの壁に阻まれ苦戦している。日本の電話会社は日本のマーケットで展開したシステムを、海外に導入させようとしたが、どっこいそれは通用しなかった。海外に投資した莫大な資金が露と消えてしまう可能性もある。日本では携帯電話機を売るために、メーカー、電話会社は、電話機にゲーム機能、着メロ、テレビを見られるようにするなど、若者の喜びそうな機能をつけて彼らを引きつけ競い合ってきた。 |
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060105 |
経済回復と綻び 大雪には見舞われたけれども、今年は概して穏やかに明けた。正月休暇の交通事故数も減少し、犯罪の増加にも低下の傾向が見られたらしい。ガン黒と言われる奇妙な化粧や、茶髪を通り越した金髪に染めた髪もめっきり減った。株価など経済の回復に伴い、衣食足りて礼節を知るの言葉どおり、日本人も少しは平常心を取り戻したのであろうか。 |
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051219 |
年末雑感 今年も、もう少しで暮れていく、経済の状況は少しずつ良い方向に向かっているようで、昨年までの年末と比べ、経済の面では、今年は少し明るい気がする。ただそれにしても、殺伐とした事件が多い。特に人間が段々と壊れかけているのではないかと、思わざるを得ない事件が多い。幼女の連続的な殺人もしかりであるが、おそらく欲望を抑制できない人間が増えてきている。世の中便利になればなるほど、ある種わがままが通るということであるから、わがままを通り越して、欲望を抑えられなくなった人間が増えているのは必然であるかもしれない。どうもモラルとかエチケット、あるいは日本人の美徳といわれるものが、相当な速度でなくなっているのではないだろうか。昨今は人の良心に照らして正しいかどうかより、法律に触れているか、あるいは触れていても見つかるか、処罰の対象になるかどうかで、人が行動している気がする。これが経済の活動の面でも現れている。世のため、人のためというのは過去の価値観であろうか。 |
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050919 |
耳無しパン 食パンなどの、外皮を通常耳と称するが、英語ではクラストと呼ばれる。皆さんの目に留まったかどうか分からないが、英国でこのクラストのないパンが発明されたという記事が、先ほどインターネットに小さく出ていた。英国では2/3の子供がクラストを嫌い、親の1/3は学校に持たせるサンドイッチのクラストを取り除いている。日本においてもクラスト付きのサンドイッチは余り好まれない、というより余り見かけない。この記事によると、今までの食パンからクラストを切り落としたものと異なり、特殊な製法で茶色の固い部分が出来ないように焼いたものらしい。開発メーカーは世界初としているが、一度現物を見て見たいものだ。価格は多少高いらしいが、捨てられる部分と切り取る手間を考えれば、かえって安いのかも知れない。 |
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050811 |
スパム王 スパムメールとは、受信した人が開かざるを得ない、開きたくなる題名をつけて送る迷惑e-メールである。そのスパムメールを年間推計380億件大量に発信する違法行為をして荒稼ぎした、「スパム王」と呼ばれた男が、マイクロソフトから民事訴訟を起こされていた。この裁判でマイクロソフトとこの男は和解し、700万ドル(約7億8000万円)を支払うことに合意したとのことである。しかしながら今後彼は違法メールを送らないと表明したが、過去の違法行為については認めてはいない。 |
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050531 |
勿体ない 戦後日本の経済が急速に発展した原因の一つに、日本人の「勿体ない」精神の存在が大きいといわれている。確かに省資源や省エネは日本人の最も得意とするところで、今まで石油ショックを乗り切り、現在では世界に誇れるエコカーなどを生み出してきた。ところがこの勿体ないという言葉の本質を外国語に置き換えるのは難しいと言われている。「勿体ない」が、「カイゼン」や「ツナミ」に続いて徐々に国際的単語になろうとしているとの事である。 |
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050507 |
ジャンク債 昨日の新聞に、GMとフォードの信用格付けが投機的水準(利率は高いが、リスクも高い=ジャンク債)に格付けされたと掲載されていた。単なる私企業のS&Pによるものなので、公的には特に意味ないかもしれないが、数年前日本の企業もこの格付けに泣かされた。GMとフォードはクライスラーを加えて嘗てはビッグスリーと呼ばれ、日本企業の手の届かないあこがれであった。クライスラーは格付けが十数年前にすでに投機的に下げられ、昨今はドイツの会社の傘下である。 |
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050124 |
あまりに日本的な 青色ダイオート訴訟で和解が行われた。東京高裁での和解金は総額8億4千万円となった。この訴訟は現在カルフォルニア大学の教授である中村氏が、以前の勤務先である日亜化学工業で発明し、同社が特許出願し、97年に登録された青色ダイオード製造技術の職務発明貢献度の評価に関する問題である。日亜はこの発明により売り上げが大きく伸び、多大な利益を得た。2001年、中村氏が特許の帰属と発明対価として、日亜に200億円の提訴を東京地裁におこなった。 |
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041230 |
踊り場 2003年春からの経済回復も、ここに来て踊り場に差し掛かったと言われている。中国経済の動向やアメリカ財政、家計負担の増大から来る国内消費の減少などが、経済に及ぼす影響が取りざたされている。これらの懸念に勝る日本経済の自律回復力があるかどうかが鍵になる。経済の拡大は生産性の向上によるもの言われている。蒸気機関の発明に伴う、産業革命などがその好例であろう。この対極は変革を抑制した、江戸時代の経済が、勿論景気の波はあったが、260年余り経済の拡大がほとんどなかったことである。いかに生産性の向上が経済の繁栄に大切なものであるか判る。 |
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041220 |
長嶋ジャパン 先日、テレビを見ていると、アテネオリンピック日本野球チームの敗因を分析していた。日本チームは期待はずれの銅メダルであったが、直接の敗因は野球小国のオーストラリアチームに負けたことである。日本チームは、欠場した長嶋監督自筆の3の数字が入ったユニホームを旗印に戦い、オーストラリアチームは徹底的に日本チームを分析して、勝つための試合運びをした。その結果、ご存知の通りの敗北となった。その結果はほとんどの国民の期待とは異なるものであった。 野球には、門外漢の私だが、おそらく世界で2番目のプロ野球を持っている日本の、しかも選りすぐりの選手を集めた日本チームのほうが、おそらくチームとしてはオーストラリアチームよりは数段上であったであろう。確かに、日本はチーム分析の情報戦で負けた。しかし本当は、試合以前に負けていたのではないかと思う。 |
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040826 |
放置自転車 最近途上の地下鉄の入り口に隣接する公共の建物で工事があった。そのため地下鉄入入り口の周辺に放置されている全ての自転車に、指定の期日までに移動するように勧告のテープが貼られた。ところが指定の日が来ても、半数近くの自転車はテープが貼られたままで相変わらず放置されていた。いくら物余りの時代とはいえ、毎日通勤に使っている自転車が、撤収されたら、困るであろうから、これらの自転車は盗難の上、放置されていたものであろう。一例に過ぎないかもしれないが、放置自転車の何割かは盗難された自転車である可能性もある。そういえば放置自転車のうちの何台かはハンドルがなかったり、タイヤがなかったり、めぼしい部品がなくなっているものさえある。 |
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040709 |
肥満 この春肥満が国際機関によって疫病に指定された。元来疫病は悪性の伝染病のことを指し、コレラなどがその代表である。お腹のふくらみでは人後に落ちないので、肥満に関しては少なからず関心がある。そういえば最近、町を歩いていても、関取かと見まがう人と時々すれ違う。男女ともいるが、どちらかといえば若い人に多い。いわゆる中年腹(リンゴ型)とは少し違う肥満で、アメリカなどで多く見られる。西洋梨型といわれ下半身に脂肪がたっぷり付いている。子供たちにもかなりいる。疫病と言われるのは大きな健康障害が起きるからである。人類の行く末が案じられる大きな問題だ。 |
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040503 | LED 車内での携帯電話による通話が他人への迷惑や心臓ペースメーカーへの影響から問題視されてきた。k加えて、最近電車での携帯電話の使用について新たな問題が生じている。青色ダイオードの商品化以来、発光ダイオード(LED)でほとんどの色が発色できるようになり、携帯電話についているLEDの色も、にぎやかになった。携帯電話によるEメールが難聴者の役にずいぶん有用である事を聞く、着信を知らせるために携帯電話のLEDの発光も必要なものであろう。 |
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040325 |
金太郎飴 交差点の中に警察官が何人も立っていた、余り多かったので数えて見るとなんと9人もいた。何事だろうと見渡してみても大事件が起きている様子もなく、警察官の数以外は通行人の行き来も平静だった。交差点の中心が見える所まで来ると、自動車のライト類の破片だと思われるような物が散乱していた。交通事故があったのだなと思いながら歩いて行った。事故の処理に来ていると思っていたパトカーのそばを通り過ぎようとした時、何気なくパトカーのほうを振り向くと、パトカーの前部に幌のようなものが掛けられており、その隙間からパトカーの前部がつぶれているのがわかった。パトカーの過失があったかどうかわからないが、パトカーが絡んだ事故があったようだ。 |
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040216 |
コンビニエンスストアー 町のいたるところ、郊外の幹線道路沿いなどにたくさんのコンビニエンスストアー(コンビニ)が開店している。さすがに競争が激しいと見えて撤退する店も散見される。コンビニエンスとは便利という意味で、24時間開店し、とりあえず欲しいものはそろっていて、しかも程ほどの距離にあることで、消費者の利便に供している。しかし便利ということは、ある意味で我がままを聞いてくれることにほかならない。従来なら世が明けるまで手にすることが出来なかったものが、深夜にでも買う事が出来る。 |
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040204 |
消費不況 昨今日本の経済も少しずつ回復指標が現れてきたが、生活者としての実感のない人が多いのではなかろうか。現在は消費不況だと言われている。皆欲しいものがないので物を買わないとも言われている。反面液晶テレビやデジタルカメラやDVD機器はかなり売れており、今後も販売高が上昇すると予想されている。 |
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040105 |
ミニスカート 昨年、鳥の歌はスレートの欠片で始めた。生活実感はあまりないものの、昨年の年初めと比べて、新聞紙面には景気の回復を示す記事がすこしづつ増えてきた。街には好景気に流行するといわれるミニスカートが増えてきた。この説が正しいかどうかはわからないが、確かにミニスカートが目に付く。そう言えば、かつて目に付いた山姥化粧も消えてしまったし、ルーズソックスもめっきり少なくなった。スラックスの上に、スカートを重ね着したり、カーテンのようなレース布を巻いたり、やたらとひらひらしたものを取り付けたような、奇妙なファッションもいつの間にか消えていたような気がする。またブロンドや赤毛のような派手な毛染めも少なくなった、毛染めは相変わらず流行しているようだが、日本人がずいぶんと落ち着いて来たように感じる。 |
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031129 |
コンサートホール 最近数ヶ月前から楽しみにしていた当代随一のチェリスト、ミーシャ・マイスキーの演奏会に行った。キリストのような風貌の彼が、チェロ曲の旧約聖書といわれる、バッハの無伴奏チェロ組曲を弾く姿は、その演奏とともに感動を与えた。演奏会は市制100周年を記念したホールで行われた。そのホールは外壁を全てタイルで覆われ、ユニークな外観を持つホールである。 |
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031025 |
開かずの踏み切り 東京の中央線の開かずの踏切が問題になっている、その事に関して列車運行部門と工務施設部門との連携の悪さが、マスコミで取り上げられている。日本の組織のどこにでもある縦割り組織の弊害であろう。私の身近なところにある踏み切りでも、JR(西日本)と私鉄の、警報機が鳴り始めて列車が来るまでの時間を比べると、測ったことはないがJRのほうがはるかに長いと感じる。おそらくJRにたずねればこれは安全を維持するために必要な時間と答えられるであろうが、お上意識の抜けないJRはこのとき道路交通をどのくらい阻害しているか、別な言い方をすれば、迷惑をかけているか考えて(考慮して)はないであろう。 |
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031001 |
肥満 食欲の秋になった。自身肥満を気にしなければならない年になったわけだからではあるまいが、最近極端な肥満な人が目につくようになった。いわゆる西洋梨型肥満である、中年男性に多いおなかが出たリンゴ型肥満とは異なる、下半身まで脂肪がついた西洋梨型の体形の肥満である。日本では過っては余り見られなかった。片やアメリカで90年頃までよく見られたが、最近では少し減っているのではないかと感じる。 |
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030912 |
満員電車 人は自らが快適に感じるエリアを必要とする、すなわち人と人との間には心地よい距離が必要になる。他人同士ならこの距離は広く、親密な間柄ならこの距離は近くなる。電車を待つ列やベンチシート型の椅子でこのことははっきりと現れる。電車ではすぐに込むとわかっていても、今込んでいない限り他人同士は距離を置いて座る。ところが恋人同士であればいくらすいていても接近して座る。この距離で二人の間柄がわかる。もちろん同性でも親密度でこの距離が変わる。概して女性の方がこの距離は広いようで電車を待つ列の女性の間隔はたいてい広い。ところが電車が来るなり豹変して、ひどく押されて後ろを振り向くと女性である場合が少なくない。 |
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030827 |
円=6角形 日本の教育問題の典型でよく取り上げられる事柄に、円周率の問題がある。 円周率は我々の時代は3.14・・・・・・・・と習ったが、最近は小学校では3を使うらしい。おそらく3.14では計算が複雑になり、理解が難しいからという理由であろう。それで3.14・・・を四捨五入して3にしたのであろうが、これにはまさに大きな問題である。円周率というのは、直径が1の円の周り(円周)は3.14・・になるという比率である。 すなわち直径1の円周は3.14・・になる。ここで3を使うと極めて大きな問題が発生する。直径1の円の中に一辺が0.5の正三角形を六つ放射上に並べる、解りやすく言うと一辺が0.5の6角形を円に内接させることになる。このときの6角形の一辺は0.5であるから、外周は0.5×6=3となる、すなわち6角形の外周は3になるのである。 |
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030725 |
多目的側道 少し前まで話題にあがっていた施設に農道空港がある。通常は農道として使う道路を拡張整備して空港として使用し、特産農産物を新鮮なうちに大都会に輸送し、有利な取引条件で農村経済の活性化につなげるといった目的のものであった。 一日に1便あるいは数便であっても、場合によっては0便でも空港である。その実態はとにかくとして、空港とよばれている。 |
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030705 |
エスカレーター かつてはエスカレーターの上では人は立ち止まって昇降をしていたが、都会人の気ぜわしさかエスカレーターの上でも歩いている人は多い。無論中には立ち止まって昇降する人もいるから、歩く人には障害になる。その障害を取り除くために、暗黙のルールがあって立ち止まる場合は、東京では左側、関西では右側と言う風になっているようだ。東京と大阪の間の名古屋はどうも東京と同じルールのようだ。 ところがどうも東京や京都、新大阪といった新幹線の駅では、駅にいるのが地元の人が過半を占めるわけではないので、このルールは壊れることが多い。駅は列車に乗り降りするために皆集まっているために、当然時間に追われるとエスカレーターの上さえも走らなければならない場合がある。ところがこのルールはこれらの駅では壊れている事が頻繁に起きているためにいくら急いでも先にいけないことがある。特に旅行者は大きな荷物を持っていることが多いのでなおさらである。 |
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030614 |
新古本 学生時代、当時の南ベトナムからの留学生に羨ましがられたことがある。その頃はベトナム戦争のさなかで平和のことかと思えば本の種類のことだった。彼が言うには旧南ベトナムのみならず多くの発展途上国では母国語で高等教育の勉強出来ないと言う。日本人はどんな領域の研究でも母国語である日本語で勉強できる。確かによほど特殊な領域でなければほとんどの学問領域で日本語の本がある。英語のテキストも使用したが、これは英語の論文を読みこなせるようにとの教師の配慮によるものであったような気がする。 |
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030602 |
節度 日本人だけではないと思うが、経済的繁栄を経験すると、どうも節度を失うらしい。 行き過ぎた土地投機、駅前の放置自転車、山姥化粧、消費者金融への過剰債務、ルーズソックス、ゲーム脳、パラサイト症候群、携帯電話の使いすぎなどなど、ここ十年ほどでも枚挙に暇が無い。 節度とは、欲望を理性でコントロールすることだと思うが、自分を良識で制御できない人が増えているのは確かだろう。犯罪も変わってきた、貧乏や金銭が欲しいといった理由でないものが増えてきている。通りがかりに人を切りつけたり、手当たりしだい放火をして回るなどの、自分を良識で制御できないことによる、と思われる犯罪が多発している。 |
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030522 |
他人の空似 初対面なのに以前会ったような気がする人がいる。おそらく以前あった人の誰かに似ている人がいるのでしょう。他人の空にといえば二度ほど驚いた人ではなくて、物がある。ひとつは電車、私鉄の電車でなかなかいいデザインだと思っていた電車があった。10年余り前のことである。そのうちその列車は鉄道愛好者か何かの団体から良いデザインの電車として表彰された。自分が良いデザインであると思うものは皆もいいと認めるのだなと内心喜んでいた。 |
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030510 |
ため口 最近の消費者金融のテレビコマーシャルで気になるものがある。近々結婚を控えた娘が紳士服仕立屋のショーウインドウの前で、父親に礼服をさし「パパあれ買いなよ。」とのたまう。最近流行の犬が登場するアレである。妙齢の娘が父親に買いなよという時代が来たのかと思うと情けなくなる。最近の流行言葉で言えばいわゆるため口というものであろうが、なんとも悲しい。ため口の語源は諸説があるようだが、大体の意味は対等かそれ以下の者に話す言葉のようだ。父親も娘からみれば対等かそれ以下になってしまったのであろうか。 |
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030422 |
三つの判子(印鑑) トヨタの生産方式として有名なのはカンバン方式、アンドン方式だが、判子三つ運動というのをご存知の方は少ないかも知れない。これは稟議書などの検印の欄を3こにすることである。ご存知のとおり日本には独特の稟議制度があり稟議書が作成される。会社勤めの方なら一度ならずもお世話になっているはずだ。かつてある国営企業の稟議書は検印20という事もあったとのこと。こんなに検印があればだれの責任か追求できない。赤信号皆で渡れば怖くないとのことだろう。当然無責任は蔓延する。自分の仕事は印鑑を押す事だと嘯いていた人もいただろう。 |
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030404 |
イチローのスパイク 今年も野球シーズンが幕開けした。松井の移籍でメジャーリーグの日本での人気はますます上がっている。メジャーリーグと言えば忘れられないのがイチローである。聞くところによるとイチローの活躍の陰に彼のための特注のスパイクがあるらしい。今年で3年目のイチローだがその履くスパイクは年々軽くなっているとのこと。この軽量のスパイクが彼の走塁、守備を支えている。 |
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030318 |
櫓太鼓 大阪に本格的な春が来た。櫓太鼓の乾いた音を耳にしながら朝の寒さの中に春を感じながらの通勤だ。大阪府立体育館の前の幟は彩り鮮やかにはためいている。しかしこの本場所は気のせいかなぜか華やいだものを感じないのは私だけでしょうか。 |
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030305 |
CMの音楽 最近リバイバルブームのためか、不景気で製作経費削減のためか、テレビのCMで昔の音楽が使われているのをよく聞く。 かつてヒットした流行歌もあれば、ポピュラーソング、クラッシクの名曲もある。 多くの場合さりげなく使われていたり、編曲されていたり、演奏形態や楽器が変えられていたりで、元の曲が何だったか気付かずにあるいは思い出せずに聞きながしていることが多い。ところが少し前から耳にのこるCMの音楽がある。チャイコフスキーの弦楽セレナードのいわゆるサビの部分をショッキングに使っているコマーシャルだ。おそらく多くの方は聞き覚えがあると思うが、「○○が××だったら・・・・」というあれである。 |
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030218 |
バリアフリー 歩道と車道の間には20cmくらいの段差がある。そのため車椅子の通行に大きな障害(バリア)となっている。この障害を少なくするためこの段差にスロープが作られている。障害者への配慮から盲人用の丸い突起のついた誘導版の敷設などと共にバリアフリーの施策により普及が推進されてきた。街のいたるところ歩道と車道の段差はなくなり、以前に比べれば障害者の方々に使いやすい道路になってきていると思う。 |
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030208 | 長寿保険 元来生命保険は死亡や傷害などに対して保障するものとして発展してきた。ところがここまで平均寿命が延びてしまうと、高齢者は長生きしすぎる心配を抱いているのではなかろうか。蓄えで賄える以上の長生きをすると、貯金が底を着くからである。いわば高齢者による老後の後の心配である。 日本の個人貯蓄の過半は高齢者が持っているといわれるが、これでは市中にお金が回らないのはあたりまえである。そこで提案だがある年齢までは従来の保険で、しばらく無保険期間を置いて、ある年齢からは、例えば平均寿命プラス数年以上は、長生き(長寿)保険にしたらどうだろう。 そうすれば思い切って高齢者が自らのために、元気な間にお金が使えるのではなかろうか。 健康保険や社会保険の行く末が心配されている中で、高齢者は死の恐れとともに、長生きの心配もある。 市中にお金が回らないからデフレになるのであって、お金持ちの高齢者から予想以上に長生きしてお金のなくなる恐れを取り除いてあげれば、心残りなくお金が使えるのではなかろうか。自らの蓄えを自ら心置きなく使えるし、その結果消費が増える。その上保険料も市中に出回る。日本経済の回復の起爆剤になるかもしれない、どなたか保険の専門家のかた考えられたらいかがであろうか。 |
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030201 | 長岡京 先日のローカルニュースで長岡京の跡地で条理(道路)の発掘をしていたら道路に面して何も立った痕跡のない道路の遺跡が見つかったという報道があった。長岡京は平城京(奈良)から平安京(京都)に遷都する僅かな間都が置かれたところである。 都が置かれた期間が短かったので都としての建物、機能が充実する前に都が移ってしまったという事であろう。 たまたま拙宅が平城京の三条通りの遺構上に立っていることが近所の道路工事の遺跡調査でわかった。その時専門家の話を聞く機会があった、その専門家の言われるには三条通りに沿って家が建っていたかどうかが興味の中心だということであった。我々素人のイメージから言うと当時の平城京は整った条理に整然と家々が並んだ大都会である。結果的には道路の両側に家の柱の後や側溝などが確認され町並みを形成していた事が判明した。 三条通りといえば二条通りに続くメインストリートの一つであり、我が家は都の南北の中心朱雀通りからわずか約3キロしか離れていないところにあるにも係わらず家があったかどうか確認されていないとは驚いたものである。 今日本中に埋め立てられ、造成された工業用地が更地のままで放置されている。その面積たるやおそらく素人には想像のつかない広さであろう。後世の人はこの土地(既に遺跡になっている)を我々が何のために造ったか理解できないであろう。この土地はバブルの崩壊のため造成されたが使用さえないまま放置されたとでも注釈の記念石でも残して置くべきだろうか。 いずれにしても使用の確信のない土地を作り、あるいは造成したまま放置するという習いは1400年以上も前から日本人にはあるということだろうか。土建国家日本の歴史は1400年以上の実績をもっている。なかなか日本人は変われないのだろうか。公費をつぎ込んで造成した雑草の荒地にはせめて作った人の名前くらいは石碑にして埋めておいてもらわなければ20世紀の日本人が皆無責任だったように後世の人に思われてしまう。 |
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030118 | 自業自得 新しい年を迎えました、経済状況は特に好転したとは思えませんが、人々の意識は間違いなく変化しているようです。 今年最初のコラム「スレートの欠片」にいくつかのメールをいただきました。 その中に大阪の企業について述べたものがありました。 要約すると 「江戸時代の大坂は幕府の天領で、藩間の商取引が唯一許された地域でした。 幕府の手厚い保護の下で大坂の商人は潤いましたが。 それが明治維新で藩(都道府県)間の取引はどこでも自由にやれるようになり、大坂は未曾有の不況に襲われました。 大坂は大阪に名称を変え、心機一転自力更生し、厳しい選別の試練を潜り抜けた企業は後の大財閥に成長しました。 しかしこれらの企業群もいつのまにか政府を頼りとするようになりました。 自業自得が歴史の試練に晒されているのは穿ったみかたでしようか。」 と結ばれています。 いずれの不況においても、政府の保護に甘え、環境の変化に沿った対応の出来ない企業に明日はないという事でしょうか。 自業自得、確かに厳しい言葉ですが、環境の変化に対応しないで、じっとしていても何も解決しないばかりか、企業生命さえ危うくなるということでしょう。 厳しい北風に向かって日本海の水仙は美しい花を咲かせます。 レッツ チャレンジ。 |
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030106 | スレートの欠片 故郷で正月を過ごした。 泥沼の不況と正月、ふと子供の頃を思い出した。 従兄弟たちと工場造成用の埋立地で凧揚げをしていたとこのことだ。 遠浅の海底の泥を浚渫して埋め立てた広大な土地の上を思い切り凧を引っ張って走っていたところ。 突然すっぽりと膝まで足がはまってしまった。 海の泥で埋めた土地の表面は乾いていても埋立地の中央部の下は粘土質の泥のままだったのだ。 例えてみれば乾いた土を氷に見立てれば氷の上を走り回っていたところ中央部の薄い氷が突然われて沼地に落ちたような状態である。 もがけばもがくほどずぶずぶと沈んでしまう、ほとんど身動きが出来なくなってきた。 何しろ広大な埋立地のこと一緒に来た従兄弟は芥子粒ほどにしか見えず大声を出しても聞こえるはずもない。 じっとしていても沈むが、動こうとすればするほど沈むのが早まるのが感じられた、このまま底なし沼に沈んでしまうのだろうかと悲嘆にくれた。 どれほどの時間がたったのだろうか、ふと1メートルほど先のスレートの欠片が目に入った。 少しづつ沈む自分に周囲の物が目に入らなかったのだ、やっとの思いでそのスレートを引き寄せて手に体重を乗せて足を引き抜いた。 それからはそのスレートの欠片を足がかりに底なし沼から脱出した。 おそらく服は泥だらけになっていただろうし、正月用の服を汚して叱られたと思うが覚えていない。 何しろ底なし沼から生還できたのだから。 今デフレ経済不況の真っ只中である、皆沈まないようにじっとしている。 じっとしていてもいずれは沈んでしまう。 不良債権とか、土地バブルの崩壊、IT不況とかいろいろ言われているが、結局は日本産業の国際競争力が相対的に低下した事が最大の原因であろう。 じっとしていてもただ沈むだけだ。 足がかりは必ずある、勇気をだしてスレートの欠片を引き寄せよう。 多くの人がそう思えば日本は泥沼から脱出できる。 今年こそ元気な日本を取り戻そう。 |
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021223 | 都市と人口 見知らぬ町に行ったときに、その町の人口を聞く事が多い。相手はタクシーの運転手やホテルマンなどになるのだが、日本ではそこそこの答えが返ってくるが、アメリカでは極端に大きな数が帰ってくることが多い。そこでそんなに多くはないでしょうとこちらが言うと、それよりずーと小さい数が帰ったりする。 そして重ねて質問をするとたいてい良くわからないといってその話題は終わってしまう。 アメリカ人は自分のすんでいる町の人口も知らないのかとずーと思っていた。 ところが最近ニューヨークタイムズのアルマナック(データー年鑑)を捲っていてわかったことがある、都市の人口が日本のように行政のエリアだけで書かれていないのだ。 例えばニューヨークの場合、New York, New York (ニューヨーク州、ニューヨーク市)とその隣接の衛星都市、ハドソン川をはさんだニュージャージー州のハドソン川に面した諸都市を含むやコネチカット州のニューヨーク隣接地域などを含むメトロポリタンニューヨーク(1800万人)の人口の概念があるようだ。多くの場合他の都市でもメトロポリタン人口を答えられる場合が多いことがわかってきた。 そこで我が大阪は統計によると大阪市260万人、大阪府は880万人、ところが例のアルマナックによるとUrban Osaka(大阪の郊外を含むエリア)は1060万人で世界19位と書かれている。 このアーバン(メトロポリタン)人口はかのパリ、ロンドンのそれより大阪が大きい都市であることを示している。 そうゆう認識が我々には欠如しているのではないか、ちなみに東京は2790万人でダントツの世界一の都市、しかし横浜はこのリストには入ってこない横浜は東京に飲み込まれている事になる。このような統計は日本にあるのだろうか、私は見た事がない。 都市を語るとき行政区による枠組みで考える事には無理がある。都市の規模はその経済的、文化的影響力で考えるべきであって、行政区による人口で考えるべきではない。大都市はその自らの影響力を与えるエリアを含めて、発展を考えるべきではなかろうか。道州制など将来の区分が提案されているが、その場合昔の藩幕体制を基にしたものではなく、都市の影響力の及ぶ範囲を基にして線引きした方が経済的にも、文化的にも、環境管理の上でも良いのではなかろうか。大阪の人口は260万人と考えるより、大阪圏の人口は1060万人と考える方がその上に元気がでる。萎縮している日本にとって思考の構造改革が必要である。 |
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021209 | 絵画と光 先日レンブラント展を見に行った、さすがに光の芸術家レンブラント、その重厚な描写に改めて感動した。 特に近づいて見た時のタッチは驚嘆に値する。 晩年の絵は彼の厳しい生活を物語るように、緊迫感を感じた。 大家の作品展であり、代表作も展示されていたので大混雑を覚悟していたが、それほどの人出ではなくゆったりとはいかなかったが、心行くまで楽しむ事ができた。 展覧会に行くと感ずることがある。 光である。 我々は照明を介して絵画を鑑賞するのであるが、展覧会の光は適切なのだろうか。 今回もかなり薄暗い照明であったが、彼の画風にマッチしていた。 絵画は光によって劣化するので、強い光は当てられないのは良くわかるが、ひどいときは本当に暗いときがある。 おまけに初期の油彩は厚い重合植物油やバルサムによって被覆されていわばガラスのような光沢を持っているので、点光源を直接当てられると、絵を見にいたのか電球の反射を見に行ったのか、解らないような美術展もある。 物の色は光(色温度)によって変わるので、画家の描いた本当の色を感じることが出来るか疑問に感じる。 無論長い時間を経ると絵の具は変色し、ニスは渇変するので、目の前にある絵は画家が描いたときとは少なからず変化しているのであろう。 その上画家が想定したと相当異なる鑑賞空間で我々は鑑賞しているので、作者の創作的意図にどれだけ迫られているかいささか自信がない。 出来れば柔らかい自然光の中でゆっくりと絵画を鑑賞したいが、商業的な美術展ではかなわぬ希望であろう。 しかしせめて美術展の主催者もしくは学芸員にお願いしたいが、移動展であろうとも常設展に近い環境で絵画を見せていただきたい。 これは主催者側の最低のモラルではなかろうか、残響のない会場での音楽と同様光に無頓着な美術展は情けない。 |
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021128 | カレーの味 カレーを食べると思い出すことがある。 私が小学生のころ、母の年の離れた妹が結婚した、新婚夫婦は私を可愛がってくれて、時々家に連れて帰ってくれた。 叔母は子供の好きなものと思ったのだろうカレーを作ってくれた。 今まで子供を育てたことのない叔母は普通のカレーを作った、ところがこれが子供の私には口から火が出るほど辛かった。 その数年後叔母夫婦のうちでカレーを食べる機会があった、この時幼稚園か小学校の低学年くらいの子供(いとこ)が二人いた。 私はおそらく中学生位にはなっていたと思うが、このときのカレーの味が砂糖のように甘く感じられた。 カレーの味は家庭の世代のサイクルによって大きく変わることに気づいた。 母は子供の成長に合わせてカレーの味を変えていただろうし、もちろん叔母も、そして私の妻も変えてきたはずだ。 最近結婚しない人や、望んで子供を作らない夫婦が増えてきているが、こんな小さなことだが人生のサイクルを感じることもなく人生を過ごす人が増えてきたと言えるのではなかろうか。 無論あまりにもこのサイクルにはまると、他人からみれば親ばかだったり、教育ママになったりする。 しかし夫婦、あるいは一人だけの変化の少ない生活を続けると気付かないことがたくさんあることには間違いがなかろう。 例えば商品開発は他人のニーズや嗜好を捕らえることが極めて大切だと思うが、カレーの味の変化はその典型ではなかろうか、この経験を持たない人が生活商品の開発をするのは難しいと思う。 家庭はニーズを生み出し、ニーズを発見する場所でもある。 |
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021119 | コールガール かって、おそらく2,30年前、欧米では人前で化粧をするのはコールガールである(真偽のほどは知らないが)といったことを本で読んだことがある。 社会人になってたびたび海外出張の機会があった時、そんな記憶があって無意識に見ていたはずだが、今思い出してもそんな(女性が人前で化粧をする)場面に遭遇したことは思い出せない。 日本ではレストランなどで食事のあと口紅などを修正するのはごく普通の風景だし、まして電車の中でマスカラをつけている若い女性は珍しくない。 豪傑になると渋滞した車の中で化粧し、勤め先につくころには仕上がっているという女性もいる、渋滞した道路で2車線以上であれば、隣の車から素顔から化粧美人になる過程を見たくなくとも拝見することになる。 欧米人は日本でこんな光景をみるとコールガールの多さに驚くのであろうか。 まさかそんなこともないと思うが、あまり行儀の良い作法には映らないだろう。 化粧は宗教的意味を別にすれば、自分を他人に良く見せるための手段だと思うが、結果がいかにあろうと途中の行為を見せることで人を不愉快にすれば、所期の目的を達成することにならないのではなかろうか。 最近タバコのCMで喫煙のマナーを訴えるものを良く見るが、化粧品メーカーもあれだけ携帯に便利な化粧品を売り出すのであれば、通勤中電車などの中で化粧をするのはやめましょう、くらいのアドバイスはして欲しいものだ。 マナーがあってこそ美しい人だと思うが、いかがであろうか。 |
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021102 |
ゲーム脳 最近の研究でわかったことに、額の裏側にある、感情や行動の統制、思考や創造性など、人間らしさを保つことに大切な働きをしている、脳の前頭前野が機能しなくなっている人が増えているとの事である。 このような状態をゲーム脳と名づけている。 だいたい週4日以上2〜3時間、10年以上のゲーム付け生活を送った人たちである。 切れやすい、物忘れが激しいなどの自覚症状があるとのことだ。 テレビゲームでは目からの刺激に対し、考えるプロセスを経ないで手を動かすので、前頭前野が働かないために機能低下に陥ってしまうのである。 前頭前野の働きを示すβ(ベータ)波のα(アルファ)波に対する割合がノーマル脳ではテレビゲームを始めてもほとんど低下しないが、ビジュアル脳と呼ばれる初期段階ではゲームを始めると平常時から明らかに低下し、ゲーム脳と呼ばれる状況までなると、平常時まで低下したままになりβ波が出ない状態になる。 調査ではゲーム脳が20%いた。 最近頻発する青少年の尊属殺人や行きずりの人に対する動機なき犯罪、あたり構わず座り込んだりするなどの、文明人とも思え無いような行動もゲーム脳とまんざら関係ないとも言い切れない。 レポートの中では携帯電話のメールへののめり込みにおいても同様な症状が出るらしい。 無気力な若者が増えたと言われるが、長年のゲーム依存の生活が生み出したのかも知れない。 個人個人があるいは家庭生活において気をつけるとともに社会的にも対策を打たなければならないのではなかろうか。 人間らしさを失った社会が復興再生するとは考えられない。 |
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021021 | 人の目 日本人は元来、人(他人)の目を気にする(し過ぎる)性格の人が多かったと思う。 ここで過去形で書いたのはどうも最近そうではなくなった気がするからである。 あたり構わずしゃがみ込んだり、電車の中で平気で化粧をする若者が増えてきた。 反面仲間(人)からどう見られているかは極めて大きな関心を持っていると感じる。 これはおそらく携帯電話の普及に大いに影響を与えているのではないだろうか。 ここで人の定義が問題になる、最近の日本人にとって人(他人)とは自分が知っている人、あるいはなんらかの関係ある人になっているのではないかと思う。 かつては袖触れ合うも多少の縁とかいったが、一部の人にとってすれ違うだけの人は他人どころではなく、すでに人(人間)ではないのだろうか。 目の前の人に対して人間としての尊敬があれば、満員電車で床に座り込んだり、人の前で化粧をしたりなど出来ないはずである。 かつてLOOK EASTというスローガンを上げて日本を目指した国の首相が、すでに日本はお手本ではないと講演しているのを最近テレビで見た。 現在お手本としているのは韓国と台湾と話していた。 茶髪などの若者の風俗を例に挙げ日本はかつてあったあるべき何かを失ったと言っていた。 他人(目の前の人)から自分をどのように見られているのか気にならなくなった日本人が、遠くで見ることのできない外国の人の目にどのように映るかを考えることは論外のことであろう。目の前の人が石ころに見える日本人に、海外の人々からどんな風に見られているか思いをはせることはできないであろう。 こんなところにも日本の沈下が見えてくる。 |
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021014 | 茹でガエル 一頃茹でガエルという言葉が流行ったことがある。 (念のために書いておくと水の入った鍋にカエルを泳がせておいて、ゆっくりゆっくり水の温度を上げていくとカエルは水温の変化に気づかず最後には茹で上がってしまう。(本当は知らないが) ぬるま湯体質ということで、環境の変化に鈍い(先送り体質の)日本人を比喩したものであったと思う。) しかし最近めっきり茹でガエルの話は聞かれなくなった。 多くの茹でガエルの話は会社の上司や先輩が君たちは変わらなければいけないという内容で話されたと思うが、変わらなければならなかった人は聞いた人々ではなくて、話した人であったことに、現実が気付かなければならない状況に追い込んだからではないか。 アメリカ経済の状況に一喜一憂しながら頼りにして景気は好転しているとか何とか言って、抜本的な対応をしてこなかった社会のリーダーたちがぬるま湯体質そのものだったのであろう。 経済は抜き差しならないところまで来てしまった。 後は茹で上がるか、最後の力を振り絞って飛び出るかであろう。 ただ飛び出せば火の中に落ちるかも知れない、闇雲に飛び出るのではなく、着地点(具体策)を見定めて慎重に出なければならないだろう。 この10年間我々は勇気を失ってきたのではないだろうか。 人に飛び出せという前に自分が出なければならない、これからの時代は昨日と同じ事をしていることは衰退につながる。 自分や自分の周囲から変わっていくことこそ日本再生の一歩であろう。 同質を求める日本人であるが、一人一人が自立すること現状突破の最大の方法であろう。 定年をカウントしている人には社会(会社)は変えられない。 |
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020926 | 若者に仕事を 最近の報道によると来年高校卒業者の就職希望者の約半分が就職できないそうである。 就職がないから大学や専門学校に取り合えず進学するモラトリアム的進学者まで合わせると実質的に働き口のない若者の数はゆうに過半数を超えるであろう。 これら進学者も2年もしくは4年後には就職希望者として就職戦線に再参入してくるはずである。 現在の日本は過っての経済的繁栄による親達の蓄えで、未就業者の若者たちを支えているが、そのうちこれにも限界が来る。 本人達の就業意欲の問題もあるが、社会にフレッシュマン、ウーマンとして出る瞬間から出鼻をくじかれた、あるいはくじかれるであろうと思っている若者の多くは夢の持ちようもないであろう。 日本人の高齢化と福祉医療、少子化の問題はマスコミでもよく取り上げられるが、若者に仕事が無いことには余り触れられていないように思う。 現在の若者は折り合いがよく特に社会にその怒りを爆発させることは少ないが、全共闘世代が今若者だったら連日職よこせデモをしているのではないだろうか。 若者に仕事を与えることを真剣に考えなければならないと思う。 その一方で研修の名目で海外から短期の就労者が日本に入っているらしい。 別に外国人を排斥しろというような考えを持っているわけではないが、例えばバブル期に嵩上げされた労働条件、最低賃金報なども見直してでも若者の就業については真剣に考えるべきだろう。 最近大学の技術移転について着目されているが、現実には成功例はまだまだ少ないのではないだろうか。 かって国公立大学の先生方は定年とともに私立大学の教員として再就職される方が多かったが、少子化の影響で私立大学の将来も厳しいので再就職も厳しいと聞く。 いっそのこと日本の科学をリードしてきたこれらの退官教員に一肌脱いでいただくというのも一つの方法では無いだろうか。 長い間研究されてきたこれらの先生方は多くの方が何らかの商品化のシーズをお持ちであろう。 これらの方にベンチャー企業を起こしていただき過っての教え子たちの就職先を確保するのである。 そのためには政府や自治体は研究施設の一定期間の低額貸与などの助成は積極的に行ってほしい。 学生の就職の無いことに一番気を病んでいた人に活躍してもらう事が一つの解決の方法でもあると思う。 若者が希望の持てる日本にしなければならない。 |
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020918 |
広告 最近特に駅や鉄道沿線の看板の広告が減ったように見える、下地の地肌のものや、準備中のデザインのものもある。 ずっと以前から下地のままで経過したものや最近広告がなくなったものもある。 看板の林立はあまりきれいなものではないが、最近のように骨組みだけの広告塔や、下地の看板もうら悲しい。 販売量が減れば広告をして販売促進をしなければならないが、購買意欲を失った消費者に広告は効果がないのだろうか。それともゆとりがあった時は気休めで広告をしていたのだろうか、広告主だけでなくこの方面のビジネスも大変だと推察される。 10年余りほど前、不況の又真っ只中のニューヨークの地下鉄は本当に薄暗かった、人影が認識できるくらいで顔はよく見えない程度の明るさだったように記憶する。 ニューヨークの駅も日本の駅のように電照看板を取り付ければ明るくなるのにと当時思ったが、どんどん看板が減っていく今の日本を見れば、なんと認識力のない自分が恥ずかしくなる。 このまま行けば日本の駅も暗くなるのであろうか。 その後ニューヨークの地下鉄はきれいになった。 広告と反比例してグラフティ(壁面の落書き)がいたるところへ増殖している。 あのころのニューヨークを思い出す。 書いている本人は芸術のつもりかもしれないがあまりきれいなものではない。 経済が停滞すると人の心が荒廃する。 自己顕示欲の愉快犯であろうが、夜陰に乗じて描いている姿を想像するとこれもやはり惨めだ、なんとかはつらつとしてこぎれいな日本を取り戻したい。 |
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020906 | 先送りの継承 電車などで若者たちが別れ際に、「あとでメールをするから」といった声を交わしているのが聞こえることがある。 無論どんな内容かは知るすべもないが、今まであって話していたのに何の連絡があるのだろう。 身近にいる若者達もひとときも携帯電話を離さない。 いつ飛び込むかわからないメールにスタンバイしているようである。 顔を合わせているときに物事を決めないで、別れた後にメールで一方的に情報を送りあっているのではないかと感じるときがある。 携帯のメールのおかげで確かに便利になったが、複数で顔を見合わせて決めるべきことを先送りしているのではないだろうか。 先送りの日本人の特性を若者も立派に?継承し、先送りのツールとして携帯電話が使われているのであろう。 携帯電話の普及にメールが大きく貢献していると思う、無論電話の通話代よりもはるかに安いことが大きな理由だろうが、相手の反応を感じることなく、今すぐ結論を出さずとも切羽詰った時に一方的にしかも複数に連絡ができることが携帯電話普及の理由のひとつであろう。 もしそうだとしたら、日本人の対話交渉能力はますます低下するであろうし、どんな小さなことでも事柄(問題)をそのつど対処することを避ける習慣を身に着けていったら、問題の先送りは日本人の体質として固定してしまう恐れがある。 そのうえ4文字の短縮文章で連絡しあっていたら、情緒もなにもあったものではない。 日本人の情緒はすでに霧散しているのだろうか。 携帯電話は便利であるが、このような点からも携帯電話の功罪を考えることが必要かもしれない。 日本人の問題先送りの体質は言われてすでに久しい。 |
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020829 | セルラーホリック 最近電車の中で驚いたことがあった。 電車はそれほど込んでなくシートに座って何気なく前に目をやると視野の中に10人ほどの人々が眼に入った。 ふと気づくと全員が携帯電話を操作していた。 幸い大声で電話をしている人はいなかったが、眼前の全員が携帯を触っているのは不気味なものである。 この時なぜかあのアルコール中毒(アルコホリック)の映画「酒とバラの日々」を思い出した。 ひょっとすると日本人の何割かが携帯電話中毒(セルラーホリック)になっているのではないだろうか。 確かに携帯電話は便利なものであるが、これだけの人が皆電話を一度にしなければならないほど忙しくはないだろう。 メールを打っている人も、読んでいる人も、大きなファイルを取り入れている人もいるだろうが、気がついてみたら携帯を触っていたという人もおそらく何人かはいたであろう。 携帯電話を取り上げられたら禁断症状が出る人もいるかもしれない。 携帯電話の出会い系サイトで命を落とす若者特に女性が1年に何人か犠牲になっているし、有料サイトで莫大な電話代を支払っている人もいるようである。 プリペード式の携帯が犯罪につかわれることもしばしばである。 特に若者の中には1日のうちかなりの時間を携帯電話に浪費している人もたくさんいるであろう。 携帯電話の功罪について考えてみなければならない。確かに携帯電話は便利であるが日本人の時間や金や命を奪い取っている。 節度ある使用が必要であろう。 |
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020803 |
常識と非常識 大抵の人が君は常識がないとか非常識だと言われればいい気持ちはしないだろう、反面例えば芸術に対しては常識的な作品だと言われれば誉め言葉ではない。プレゼンテーションにたいしてこんな常識的なアイデアではだめだともいわれる。人には常識が求められるし、常識の中に留まっていてはだめだとも言われる。常識とは「健全な社会人なら持っているはずの、ごく普通の知識・判断力とのこと」であるが、この常識の基準は難しい。ここに来て、例えば日本人の髪は黒いとか、日本人は勤勉だとか、日本は安全とかといった、嘗ての日本の常識は謦咳化しつつある。 常識の概念は段段に、というよりは急速に大きく変化しているのではなかろうか。世代間の常識の基準はかなり異なってきたように感じる。また常識は権威や権力によって作り出されてきた側面もある、経済が衰退する中でいろいろな権威が萎縮してきて常識も変わってきているのではないだろうか。コマーシャルイズムによっても常識は変えられてきている、消費者金融がモノを持っていないことが恥ずかしいようなCMをながしているが、たとえば10年,20年前なら日本人社会でこのようなCMは容認されなかっただろう。常識自体が激変している現代の日本で、常識がありかつ常識にとらわれない生活は本当に難しいと思う。日本人のモラルと独創性が衰退していると感ずる昨今である。 |
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020719 |
大恐慌とIT(情報技術) 最近2週間ほどインターネットメールの不調に悩まされた、原因は加入しているプロバイダーのメールサーバーが断続的にダウンしたことによる。 このことで、本で読んだ1929年の大恐慌を思い出した。 この年の10月24日暗黒の木曜日、株が激落し始めた。当然当時の通信の花形「ラジオ」はこれを放送し,電話で売りの注文が殺到した。これに対して政府は直ちに対策を行い一時市場は沈静化したかのように見えた、ところが既に電話回線はパンクし情報の伝達はタイムリーに行えなくなっていた。 市場は沈静化する可能性はあったにもかかわらず、電話は不通になり、ラジオは情報の先入れ先出しをしたために、民衆は株が暴落しつづけていると思い売りが売りを呼んだ。 現代においてはインターネットの社会的影響は極めて大きい、例えば株の売買をインターネットで行っている人もたくさんいるであろう。最近大阪市内で電話の不調があったがこれはすぐにニュースとなって明らかになったが、インターネットの不調はほとんどニュースとして公開されていない。 経済的なパニックとインターネットの不調が重なれば1929年と同じことが起こらないとも限らない。 インターネットの普及というとすぐに魅力あるコンテンツの話になるが、本当の問題はその扱いづらさや不安定さではなかろうか、多くの人は問題が起きた時はお手上げになる。IT技術者を抱える会社ですら、サーバーのダウンは頻繁に起きている。 今後のインターネットの普及はもちろん、社会に大きな混乱を起こさないためにもインターネットという巨大システムの安定化は至上の問題であろう。 |
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020713 |
プロメテウスの孫 前回科学的事象の判断の難しさについて述べたところだが、新聞によるとどうやらプロメテウス(人間を作ったとされるギリシャ神話の神)の創造物たる人間が生命を作り出したらしい。米ニューヨーク州立大学などが解析済みのゲノム(全遺伝情報)をもとに、化合物(ヌクレオチド)を並べてゲノムの大きさが7500個のポリオウイルス(かつて小児麻痺として恐れられた急性灰白髄炎を引き起こす)を作ったのとのことである。 小なりとは言え、無生物化合物(ヌクレオチド)から生物であるウイルスを作ったこのの科学的意義は大きい、プロメテウスの孫が生まれたのである。 今後このウイルスは細菌、原生動物、高等生物につながるものであろう。 今までクローン技術、遺伝子操作などが問題になっているが、これはあくまでスタートが生命体であり、今回の事柄とは違う次元のものである。 いままで命を作れるものは神(自然)のみと信じられてきた。 今後の発展により功罪両側面が予測され、当然のごとく倫理観が求められている。プロメテウスが人間に与えた知恵が、人間にとって幸福をもたらすものか、悲劇を生み出すものかこれからの人間の判断一つであろう。力を持てば持つほど判断力と謙虚さが必要になる。 |
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真実の判断 30年ほど前、Gという超能力者が話題になりテレビでスプーン曲げを実況中継してみせた。当時理系の学生であった我々の間でも議論伯仲した。大方はどのようなトリックでスプーンを曲げるのだろうという論点であったと思うが,1人の友人が「自分が信じられないものは受け入れられないというのでは科学者ではない、あり得るかもしれないという見方が何故出来ないのか」と皆を諭した。その後我々の議論がどのように進んだか記憶の闇に沈んでしまった。 確かに、実際に目で見える、太陽や月の動きで天は地球を中心としてまわり、宗教的教義により、ガリレオの地動説は葬り去られ「それでも地球は回っている」と呟いて獄中の人となった。しかし現在天動説を信じるものは誰もいない。 かれこれ一昔になろうとするが、ある宗教団体の教祖が修行により解脱をすれば空中浮遊をすると、その可能性を信じる若者を中心に信者を増やし、最終的にはテロリスト集団とかし、多くの命を奪い去った。このときその殺人手段を提供した者の多くは理系の学生や大学を卒業したばかりのものであった。 新しい事象や概念,あるいは古くてもいままで取り入れられなかった概念を認識し、判断をくだすことの難しさを改めて考えさせられる昨今である、遺伝子操作など今まで考えられなかったようなことが次々に研究開発されている。これらに対応していく判断力はどのようにして身に付ければいいのであろう。遺伝子の中には過去のデータ-しか刷り込まれていない生物は元来保守的で永遠の課題なのかも知れない。 |
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青信号皆で渡るもまだ怖い 中国の交通事情をもう一つ、中国の交通ルールは車優先が基本である。したがって歩行者は車の走行を邪魔しないように歩かねばならない。これがなんとも怖い、日本は人優先の交通ルールであるから、多くの歩行者が横着になっている。人がいれば車は止まってくれるのである。 ところが中国ではそうはいかない、人が居ようが居まいが車は突っ込んでくる、それで事故になれば歩行者が悪い。踏み切りで列車に突っ込んだ車と同じで一方的に人が悪い。横断歩道の上でもこの状況はいっしょである。しかも大通りでも横断歩道は少なく、まして信号付きの横断歩道となると大都市の中心部を除いて極めて少ない。その上信号のない交差点では車同士がクラクションを鳴らしあって優先権の宣言をし合っている。車右側通行の中国では交差点では車は常時右折可であるすなわち赤信号でも車は右折できる。カルフォルニアでも同じであるが、米国では歩行者が居れば少なくても徐行はしてくれる。中国ではそこのけ、そこのけ車が通るである。ましてこちらは右見て左見てが染み付いているので、車の確認のタイミングが悪いから、道路の横断は何しろ怖い。中国人にくっ付いていかなければ交通量の多い道路の横断は不可能に近い。 おそらく二,三十年前は自動車の数が少なく、しかもほとんどが政府や軍隊の持ち物だったであろうから、お上優先の交通法規ができて、こんな風になったのであろう。命より車の方が大事だったのだろうか。このような国と人権について話し合うのはさぞや難しいであろう。日本人は法によって守られていることを実感した。 |
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020618 |
マナーとバイタリティ この度の中国視察で上海の地下鉄に数人で乗る機会があった。なにぶん上海は人口1600万人の大都会で、通常でもいたるところで自動車事故が発生している。ましてや通勤時間帯のラッシュは相当なもので、急ぎの用があったので大渋滞を避けるために地下鉄に乗った。幸い近くに駅もあり、地下駅の構内に下りていった。切符の自動販売機は停止していて、ひとつの出札口が黒山の人だかりだった。それでも出札口には程なくついたが、窓口を目前にしているのに、なかなか切符が買えなかった。何本もの手が横や後から伸びてきて出札口が目の前にあるにも関わらず次々と先を越されてひどく手間取った。 やっとの思いで切符を入手してホームに下りていった、乗車位置がホームに描かれていたので一行で並んで電車を待った。現地の人はそこらここらに思い思いに立っていた。そのうちホームは鈴なりの人出埋まってきた。そこに電車が来たが、人々はあっという間に電車の入り口に集まってすごい勢いて乗り始めた。下りる人を待つ習慣はないらしく、降車する人と乗車する人が渦潮のようにぶつかりあっている。列の先頭にいたはずだが、実は列そのものはもともと存在しなくて乗車したのは結局最後になった。 日本人が国際的に、マナーが良い方ではないと思うが、日本のマナーを守って中国で生活したら大変なことになる。これからはマナーとバイタリティを身に付けなければ日本人は国際社会でやっていけないのかも知れない。 |
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020608 |
中国認識 最近中国の青島、上海、珠江デルタと一週間かけて視察した。5,6年ぶりの中国であったがその変化の大きさに改めて驚いた。かつてあらゆるところが工事中だった深せん、東莞の産業エリアはすっかり整備されて、それぞれ近代的な大都会に変わっていた。青島郊外の産業地域が以前の珠江デルタの有様で、あちらこちら道路工事が行われていた。北部沿岸部も南部の沿岸部に5,6年遅れで追いかけてきている。 中国には貧富の格差、年金の問題、通貨の問題など大きな課題があり、今後の発展が疑問視する意見もあるが、今回の沿岸部を回ってみた限りでは、大きな変貌をとげており経済は表面的には拡大していると感じられ好景気の様子であった。特に上海は近代的な大都会になっており、繁華街にはブランドショップが店を並べるなど日本の大都会と比べても遜色はない。立ち並ぶビル群は東京を含めて日本の都市の比ではない。町行く人々にも活気があり、職場はどこも活き活きした若者であふれている。 我々は中国の様子をテレビや新聞で見ているが、今回改めて感じたことは、我々平均的な日本人が抱いている中国のイメージより、現実の中国は遥かに変化している。多くの日本人の中国に対する認識は、数年前の中国かもしれない。現実の中国を見れば日本人の誤った優越感は霧散するであろう。安い労働力の供給源といった見方で中国を認識していると日本の産業は大打撃を受けるであろう。 |
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020601 |
子供の高齢化 昨今の日本では人口の高齢化と少子化が大きな問題である。これと共に現在余り表面だって問題になっていないが、もうひとつ子供の高齢化の問題がある。子供も中学生になると公共料金が大人と同額になり、このあたりが大人の入り口であり、遅くとも20歳では完全に大人のはずである。しかしながら生物年齢的には完全に成人になっているはずの年齢者の行動様式が子供のままの者を多く認める。これらが少数であれば、これも個性で片付けられるが、相当数いるとなると社会的に大きな問題である。 たとえばカバンいっぱいに漫画本を入れて持ち歩き、人前で何の臆面もなく読んでいる。キッズファッションの大人サイズ服装のままどこへでも行ける。縫いぐるみをいっぱい並べてまるで子供部屋のように飾り立てた自動車を運転している。道路であろうと階段であろうとどこにでも地面に直接座っている。携帯電話になにやら沢山貼り付け、ぶら下げている、これでは携帯電話は道具ではなく明らかにおもちゃ。定職に付く気も無く、それを特に問題にしていない。理由の中に好きな仕事が見つかっていないので、見つかるまでフリーターでいく。まるで好きなクラブが無いのでクラブ活動に参加しないのと同じような理由で仕事をしない。学校に行くのにまるでその化粧やファッションたるや清潔感のレベルを逸脱している。どう考えてもこんな行動は分別ある大人の行動ではない。 これでは国民の義務である、勤労、納税、教育のすべてを果たしていないのでは無かろうか。世は不況の真只中、このありさまで日本は国際競争に生き残れるのであろうか。 |
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IT革命 米国では1990年から2000年の10年間で生産性が約40%向上し、その原動力はIT技術だと言われている。この間日本の生産性はどのくらい向上したか手元に資料がないので定かではないが、おそらく見るべき数字はあがっていないと想像される。最近米国労働省が発表した本年1−3月期の非農業部門の労働生産指数は年換算で8.6%上昇したそうである。昨年の景気後退期においても生産性は向上し、その原因はリストラとIT(情報技術)の活用によるものだそうだ。ITバブルははじけたけれども「一般の事業会社へのIT導入は今後さらに大きな効果を米経済にもたらす」と元政府高官も述べている。 たしか日本にもITバブルがあったはずだが、どうだっただろうか。当時日本のITの花形は携帯電話とネット対応型ゲーム機ではなかっただろうか。たとえば携帯電話は生産性の向上にどのくらい役に立っているのであろうか。携帯電話は国民の2人に1人位は普及していると思うが、この普及を支えているパワーユーザーは中高生、大学生などだろうか、この層がいくら携帯電話を活用しても考えてみれば生産性はあがるはずはない。せいぜい消費を押し上げたというのが実態ではないだろうか。経済の視点からみると大した内容は話されていないであろう。情報機器という意味では情報機器だが厳密にいうと情報お楽しみ機器ではないだろうか。ゲーム機とあわせて考えると日本のITはInformation Toy の略だったかもしれない。その携帯電話を販売する会社がIT銘柄でIT株バブルにおどった。 日本もそろそろ本物のIT革命に取り組もうではないか。 |
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監視員 久しぶりにプールに行った、プールサイドの椅子で監視員2,3人が視線を交わしながら、何か話をしている様子だった、いつもの光景である。このプールにも高い監視台があるが、夏休みの繁忙期を除いて使われているのを見たことがない。よほどのことがない限りルール違反者に注意することはないし、手の届くところに浮き袋を準備している様子もない。 仕事柄時折海外出張に行く、とりわけ米国が多かった、たまにプールに行く。数少ない経験で恐縮だが、アメリカのプールの監視人は必ず1人で監視台にすわり、プールを見つめてルール違反者にも厳しい、交代時の連絡以外私話をしていることを見たことがない。しかも短時間おそらく30分とか1時間で頻繁に交代していく、長時間集中することはできないことへの配慮だろう。 ここに日本とアメリカの違いがはっきりと出ている、日本の監視員は何もないことを前提にくつろいで座っている、大方の場合はそのとおりになる。しかしアメリカの監視員は何かが起こるかも知れないことを前提に監視している。むろん事故があると、そのプールの管理者、場合によっては監視員まで責任をとらざるを得ない可能性が高い。日本人的体質はプールの監視員の態度にも染み出ている。安全を守るために監視するのと、安全を守る体制をとっている一種の建て前(フリ)との違いであろう。これは日本社会のあらゆる面で現れている。たとえば会社での稟議制度、国対で決まっている国会の本会議これらは儀式にすぎない。協議検討をおこなった、民主主義の手続きを経た事にするためのフリである。そして監視員にも責任がない、BSEの事件でもはっきり証明された。国民の生命財産を守れない監視員はいらない。日本人全体がフリばかりしていては日本の再生はありえないと思う。経済再生のために、責任ある行動を起こさねばならない。 |
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020506 |
増殖曲線 先ごろ発表された数百年にわたる日本人の推計人口変化のグラフを見て、微生物の増殖曲線にそっくりだと思う。戦国時代から江戸時代初期にかけて急速な人口増の期間があるが、その後江戸時代を通して人口の変化は少ない。微生物の増殖曲線で言う誘導期に江戸時代があたれば、明治から大正、昭和にかけてが対数増殖期、ごく短い定常期が平成、そのご死滅期に移って行くのか。日本人が生物である証がこの曲線かもしれない。微生物が増殖して行くには温度、水分、pH、酸素濃度、浸透圧、栄養素、これら6つの必須条件を満たさねばならないといわれている。 日本人あるいは人類にとって人口が増えることのみが良い事だとは言えないだろうが、日本人の人口が急激に減少することは生物としての日本人にとって必ずしも良いことではないであろう。日本人にとってこれらの必須条件とはなにであろうか。嘗ては欧米先進国に追いつくことが日本の目標であった。経済的に先進国に追いついて目指すべき目標を失ってしまった。死滅に入った微生物には新しい培地が必要になる。日本人にも新たな培地(ドメイン)を早く見つけなければならない。新しい目標を見つけることが日本再生の鍵ではないだろうか。日本にとって企業にとってドメイン(活動範囲や占める位置)の確立こそ最重要であろう。 |
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020424 | 一社懸命 一説によると一生懸命と言う言葉はもともと一所懸命だったが、織田信長が尾張から美濃そして安土に居城を移した際に、部下の土地への執着を取り除く為に使ったとされている。それが一家(藩)懸命、一社懸命に変わって今にいたっていると思う。 しかし昨今のリストラや早期退職などにより人生の大半を同じ会社で過ごすことが難しくなってきている。例えばエネルギー企業をみてもこの50年余りで主役は石炭、石油、一時脚光浴びた原子力、今後主役になれるか、太陽エネルギー、風力、燃料電池、バイオマスなど激しい変化をしている。産業構造の変化により会社の元気な期間が徐々に短くなり、サラリーマン人生より短くなりつつある。電機業界にあってその傾向は大きく70年代隆盛を誇ったオーディオメーカーの中で、業態の変更がうまく行かなかったところは、舞台から消えていった。 今や一社懸命は覚束無くなっていきている、ある大手電気メーカーが行なっているように、同じ会社の中で電気やメカなどの従来技術の技術屋からソフトエンジニアに転換を勧めているように、一職懸命すら難しくなっている。若い時に修得した知識や技術で一生食べていくことが出来にくくなっている。 職業によって個人のアイデンティティを確立している人も多くいるであろうから、一つの仕事を続けられないことは個人にとって厳しいことになる。今後社会の変化に対応できる才能を開発しておくことが否応無しに求められるであろう。塾のCMではないが、今若い人たちは「私は何を勉強すれば良いのだろう」と思っているかもしれない。 |
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020419 | 大人 大人しいとは子供がいたずらをしたり、騒いだりしないでしないで静かにしていることと国語辞書に書いてある。静かな振るまいをするのが大人と言うことであろう。最近車の騒音が著しくうるさい、どうももともと車に装備されていたマフラ(消音器)と違うものが取りつけられているものが増えているように思う。都会の暗騒音の中で数十メートルいや100メートル以上離れていても耳を塞ぎたくなるものもいる。 少年の心を持った男は魅力的だという説もあるが、少年のままの男はどうであろうか。自動車の運転は18歳以上が求められているので、ほとんどのドライバーは大人のはずである。大人に向かって大人しくしなさいと言わないといけない時代が来たのであろう。国語辞書の大人しいの説明の主語「子供が」を削除しなければならない時がきたようだ。河鹿や鈴虫のかすかな音を愛でた日本人はどこにいったのであろう。 今日も事務所の前を通りすぎる爆音の行列は不景気にたいする憂さ晴らしの爆竹の音にも聞こえる。このご時世大人なら他にしなければならないことがあるはずだ。日本人の大人としてのモラルが問われている。 |
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020416 | 眠れるエコノミックアニマル 嘗て中国のことを眠れる獅子と言っていた時代がある、時代は移り中国は世界で最も勢いのある国の一つである。ここ2年余り前から電車通勤を始めたが、朝の列車はご多分に漏れず、いわば立錐の余地のないほど込んでいる。気になることがある、眼を座席の方に向けると座っている人の6,7割以上の人は最長40、50分の短い線区にも関わらず季節を問わず寝ている。個々の人が寝ているかどうかは自由であるが、これだけ多くの老若男女が今しがた目覚めたばかりの時間だと言うのに、眠いのは何故だろうか。 私はしたくないことをしなければならない時、やたらと睡魔が誘う時がある。不景気な昨今会社での1日を考えると眠くなるのであろうか、あるいは仕事のことなど考えたくもないほど眠いのだろうか。30年ほど前日本が日の出の勢いだった頃にも電車を利用していたが、今思い出してもそれほど寝ている人はいなかったような気がする。このころから日本人はエコノミックアニマルと呼ばれ始めたのではなかろうか。さしずめ現代の日本人は眠れるエコノミックアニマルだろうか。経済が振るわないこととも無関係でないかもしれない。春眠暁をおぼえず。いや春夏秋冬暁を覚えず、経済も寝ている。 |
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020411 | 運動会 最近、ゆとりの教育や学校週5日制ということで、学校の議論がにぎやかであるが、学校というと冷や汗をかいた思い出がある。10年以上も前のことであろうか、息子がまだ小学校の低学年で、風呂に一緒に入っていた時、秋期運動会の練習の季節だったので、徒競争の練習の様子を聞いてみた。私は子供の時、特に運動会を楽しみにしている方ではなかったのこともあり、季節の挨拶代わりの何気ない質問であった。 質問は「運動会のかけっこでは何着くらいになりそうか?」という質問だった。息子はそんなに脚が遅い方ではないと認識していたので、特にいやな質問ではなかろうと思っていた。あに図らんや、「わからない」と言う。こちらは思いがけない答えが返ってきたので、面倒くさがらずに人の質問には答えなさいとひどく叱った。すると「だってわからないもん」と言う。それでその理由を聞いてみると、全員走らせて速い順番を調べて、走力の順に徒競争の組みを作るという。 したがって特に速いか遅いかでない限り、中くらいの組みは実力伯仲、練習のたびに順位がちがうのである。こちらの思いもよらない仕組みで組みが作られていたのである。これではわからないのは当たり前である、それから息子に平謝りした、幸風呂の中だったので冷や汗は見破られなかったが、驚くようなことが学校では行なわれていたのである。一番速い組のビリは一番遅い組みのトップよりはるかに速い、これでは1等もビリも何の意味もない、競争に白けた子供たちが大人になり、国際競争の荒波の中に出て行く。いやもう出ていっているであろう。 日本にゆとりは今後もあるのだろうか。 |
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020408 | 部分最適 先日のこと地下鉄の駅から地上に出ると何時も路上駐車で一杯の大通りの一番外側レーンが見事に空いていた。 ドライバーのマナーが良くなったのかなと、すこし歩いていくとパトカーが止まっていた。 パトカーの効用であった。 さすがパトカー天下の迷惑駐車もこれで解消と思っていたが、よくよく考えてみるとパトカーがレーンを塞いでいるので、使えるレーンの数はいつもといっしょだった。 パトカーは眼に見える範囲の駐車違反には効果があったが、レーンの有効利用という点では、違法駐車と何ら変わらなかった。次の日はやはり違法駐車が目に付いたので、レーンの有効利用の点では納税者の立場からいうと、パトカーは経費が掛かっている為、違法駐車より費用対効果は悪いことになるかもしれない。当日の違法駐車の追放というパトカーの目的は達しているのであるが、もしもスムースな車の流れを目標にしていたらほとんど効果はないことになる。 歩きながらパン工場の作業流れのことが思い浮かんだ、作業人員の一番多い成形工程の効率を考えて作業を進めると、窯前が煩雑になったり、窯の効率を重視して作業を進めると包装工程にパンが積みあがったりしてくる。目に見える範囲の部分に注意を奪われると流れ全体の効率が悪くなる。部分最適は全体の最適にはならないであろう、部門の成果を求めすぎると全体の効率が悪くなる。要は全体の流れが最大になることが目的なのだから、工場内にパトカーは要らない。 |
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020403 | 天才ピアニスト 先日テレビで中国のピアニスト英才教育の番組を見た、その中で音楽院の教授が天才少女に悲しい曲を丁寧に教えていた。 この少女は中国の急速な経済成長の中、恵まれた家庭環境の中で健やかに育ってきたという。 愛の曲は上手に弾けるが、悲しい曲が弾けない、悲しみを知らないからだという。 確かに恵まれた環境に育つと悲しみを感じることが少ないかもしれない。日本人はどうだろうか、日本人の方が中国より早く豊になった。嘗て日本人は戦後の混乱と貧困の中から這い上がってきた、家族との死別や貧乏や飢えの中からより良い明日を目指して頑張ってきた。満たされない自らの境遇から抜け出そうとがむしゃらに働いた。 恵まれていないことが、日本人に向上心と努力とを与えた。 そういえば最近演歌がヒットしなくなったそうである、かって流行歌の多くは演歌であった。演歌は怨歌とも書くらしい、日本人の心から怨みが消えたのは良いことかもしれないが、苦しさや悲しみの心も失ってしまったのではないか。 辛い境遇は誰しもいやだが、満ち足りた境遇だけでは人は駄目になる。 確かに昔はもっと貧しかった、しかしチャレンジ精神は旺盛だった。 厳しい日本の現状を見据えて、チャレンジしよう。 |
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020401 | 見えない仕掛り時間在庫 最近TOC(制約条件の理論)が注目されている。 一言でいえば「工程のボトルネック(最も効率の悪い部分)に仕掛り在庫が溜まってスループット(売上−材料費)が滞っている場所を探して改善し、スループットを改善する。」であろうか。 生産工学が発展している産業に自動車がある。従来ジョブショップ(加工対象物により加工順序が異なり、それぞれの加工順序にしたがって加工される)で行なわれていたが、フォード以来の生産性向上への取り組みで、工程はライン化されフローショップ化(加工順序にしたがって生産設備を配列し、それを用いて生産する)されてきた。 自動車生産システムで最も有名なものはトヨタ生産システム(TPS)であろう。その中でも、あんどんシステムは当にラインのボトルネック発見のツールになっている。日々の作業の中でボトルネックを発見し、その原因を取り除きスループットを向上させる。考え方によっては制限条件の理論以前にそれを実現させていたと言えよう。 制限条件の理論では仕掛り在庫の滞留から、ボトルネックを発見しているが、仕掛り在庫が無い(作れない)産業の場合はそれをいかに発見すれば良いのであろう。仕掛り在庫の無い産業とは日配食品産業などが典型であろう。短時間で生産を完結させ、しかも仕掛り品を滞留させると、変敗、過発酵、焦げなどが発生し製品にならないので仕掛かり在庫はない。パン,蒲鉾などはその例であろう。仕掛り在庫がない(作れない)ために、仕掛り在庫ができないように時間を調整して生産している。即ちボトルネックの処理能力以上の仕事はしない、別な表現をすればボトルネックに仕事が集中しないように、仕掛り時間在庫を作っているのである。仕掛り在庫は目に見えるが、仕掛り時間在庫は眼に見えないので、これらの産業では生産性向上の問題点に対する認識が形成されにくい。 |
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020311 | 日本の食品工業の将来 日本の食糧自給率は約40%、日本国民の一人としていささかの不安がある。政府は食糧自給率の上昇に熱心である。 その一方で日本農業の生産性は極めて低い。 米60kgあたりの生産費は日本約19000円、米国1800円で米国の約10倍。耕地単位面積あたりの収量はほぼ同量である。小麦価格(薄力粉)については60kgあたり国内産の政府買い入れ価格は約8900円、政府売り渡し価格約2300円、同じく米国産、買い入れ価格約1200円、売り渡し価格約2700円、すなわち国内産、米国産とも政府の売り渡し価格は2500円前後であるが、買い入れ価格は7倍以上の開きがある。 いわゆる逆鞘である。 この価格差による差益で日本農業は支えられてきた側面がある。 この状況を続けて行って日本の食品産業は今後も発展的継続が可能であろうか、特に穀物加工の産業の将来に不安を持つ。実際成形冷凍生地やプレミックス粉に姿を変えて小麦が日本に入ってきており、それが徐々に増加していることは業界人なら誰でも感じている。 国内外価格差がこのままだと、これらの輸入量は増加するであろうし、それは小麦粉使用量の減少を引き起こす。 小麦輸入の減少にもつながり、製粉産業に打撃を与えるであろう。 もしもパンや麺に姿を買えて入れば製パン産業や製麺産業への影響も多大なものになるであろう。 今後も食品加工技術が発達しグローバリゼーションが進めば、小麦の大きな内外価格差が続く限り、この傾向は顕在化するであろう。 そうなれば穀物内外格差の補填の源資も不足し、日本農業への助成も難しくなる。 食用製油産業においては、既にパームにおいて搾油が国内では難しくなってきている。 農業の持続的発展は大事だが、それを加工する食品産業が衰退すればもともこもなくなる。 農業政策と食品工業政策とは一体の問題として考えなおさなければならない時期が来ているのではなかろうか。 |
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020302 | 何もしないリスク 新しい事にはリスクが伴う、故に新規事柄は慎重に成らざるを得ない。20世紀まで日本の総人口は増加した、特に第2次世界大戦以降、人口、国民所得ともバブルの崩壊まで急速に増加してきた。 この為経済は拡大し、新な事をしなくても経済は拡大した。 この間、オイルショックやドルショックなど経済危機は起たが、乗り越えて来た。 しかし今回の大きな経済危機は近来始めての事である。ここ50年余り、経済は常に拡張するという、幻想に捕らわれ、何かを起こして失敗するよりも、何もしないで過ちを起こさず、経済拡大に身を委ねていた方が得策と言う、消極的体質が身についてしまった。 多くの人々が退職の挨拶状に「私の在職中、大過なく勤めあげられた…・」と書いてきた。 何かをするより何もなかったことが、謙遜もあろうが、誇れるのである。 しかし今後もそうか甚だ疑問である、厚生労働省の研究所によれば総人口のピークは数年後の2006年で、その後徐々に減少していく。 他の研究によると生産年齢人口(15歳から64歳)のピークは90年代半ばに経過して、総人口よりも先に減少して行く。 今後生産は縮小し国民所得は減少に転じてくる。 今までは総人口増加により、消費は増加していったが、今後消費は減少していく。 別な表現をすれば今までは経済の拡大のお陰で売上は徐々に増加してきたが、今後は昨日と同じことをしていたら売上は確実に減少していく。 無論個々には新たな商品やサービスにより売上を伸ばす企業もあるが、総量としては減少に転じる可能性が高い。 考えねば成らぬことは、量の面で日本のマーケットは縮小していくので、何もしなければ確実に売上減になる。 無論売上を伸ばす施策を考えねばならぬが、同時に経費削減によって収益を確保することも考えねばならない。 特に日本の生産性は先進諸国中で最低だと言われている。 この生産性を向上させなければ、日本に明日はない。 生産性を向上させる手立てを実行しているか。 何もしなければ企業に明日はない。 何もしないことは企業にとって最大のリスクになる。 |